私ではなく、少し前に放送していたテレビドラマのことね。
ボジュ! 鈴木隆芳(すずきたかよし)です。サバ?
ドラマ「鈴木先生」第7話では、鈴木先生(長谷川博己)が、
異性を選ぶ基準について教えてくれる。
例えば、外見or内面のいずれを重視して異性を選ぶべきか?
もし、ここでルックスです!と躊躇なく答えたら、もう大変。
とたんに「ひどい人ね!」と、人間性さえ疑われちゃう……でしょ?
さて、鈴木先生の指導やいかに……
異性を選ぶ時のさまざまな基準、外見、内面、経済力、学歴など、
どれをよりどころにしても、そこには本来、打算やエゴが含まれていて、
内面を重視していると言う人にも「やさしくされたい」「裏切られたくない」
という自分かわいさゆえの保身があるのではないか。
いけないのは、自らの基準だけを正しいものとして、他の価値観を断罪すること。
異性選びでは、だれもが利己的な打算を捨てられないのだから、
だったら、ルックス重視の人のことを悪くは言えないはず。
どんな価値観も「許されている」に過ぎない、ってことを忘れないで欲しい、
というもの。
うーん。なるほどね。
価値観っていうのは、自信をもって振りかざすものではなく、
許されているがゆえの罪悪感を伴うものなのか。
だからかどうかわからないけど、
「私のどこが好きなの?」って訊かれると困りませんか?
この質問に答えようとすると、相手のことをいろいろな角度から
多角的に見るしかない。
結果、自分の都合で相手を多面体にカットすることになる。
「君の〜が好き」って言うときには、
「君の〜は好きじゃない」「君の〜は嫌い」
っていう別の面がちらついて、それが意識のどこかでくすぶって、
なにかうしろめたい気持になる、
なんてことはないですか。
そろそろ本題。
なぜ結婚しない人や結婚できない人が増えているか?
という喫緊の問題。
2010年のデーターによると、おおよそ男性の5人にひとり、
女性の10 人にひとりは生涯未婚です。
(なぜ、男性の方が結婚できない人が多いのかというと、
モテる男が何度も結婚するためなんだそうです。ひどい……)
さらに意外なことに、
むしろルックス重視で選んだほうが「まだまし」らしいのです。
(つまりは、結婚件数の減少を抑えられるということ)
次回はそんなお話を。
つづいちゃうもんねー
今回の参考資料:「鈴木先生」完全版DVD-Box, TV Tolyo, 第7話.
驚異の低視聴率ながらギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、
日本民間放送連盟賞テレビドラマ番組部門最優秀賞、
放送文化基金賞など立派な受賞歴。映画化もされました。
ボジュ!鈴木隆芳(すずきたかよし)です。
前々回はコミュケーションの難敵とどうやってわかりあうか、ということ
について結論に至らないまま放置していましたが、今回はなんとかこれに
活路を見出したいと思っています。
ところで、コミュニケーションが難しい相手ってどんな人でしょう?
1. 異性(うん、確かにね。実感。)
2. 年長者(リスペクトを込めてあえてこう呼ぼう。)
3. 外国人(言葉ちがうし、文化ちがうし、と言うか、いろいろちがうし)
そこで、いきなり結論なのですが、
それは、ずばり「ネコになろう!!」です。
にゃん?(ヒト語訳:えっ?)
ディベートをしたことはありますか?
あるテーマについてYESとNOの立場に分かれて、論を戦わすあれです。
例えば「愛情と友情は両立するか?」とか。
ディベートを有利に進めるためには、主張の根拠となるデーターや証拠
を示しつつ、相手の論拠の弱点を攻めることが肝要ですね。
ですが、ここで言いたいのは、こうしたディベート戦術は、実際のコミュ
ニケーションではうまくいかないこともあるんじゃないか、ということです。
aikoさんの歌「愛の病」には、「この出会いであたしのからだが変わって
ゆくものなんだって照れくさくて微笑みました」という一節があります。
これって、ディベートでは絶対ありえない展開なんです。
「あなたのおかげで私は変わったわ。うふ♥」なんてラブリーな表明をしたら
即敗北です。だって、ディベートでは、自らの立場を堅持して自分は変わらない
まま、相手の考え方だけを変えることが要求されるからです。
実際のところは、相手も相手で「私は私よ!一歩も譲れないわ!」と思っている
んだから、これはもう壮絶なバトルになります。
はい。そこで、ネコです。仮装やコスプレって、ちょっとあやしい魅力を感じるでしょ。
その魅力をつきつめていくと、自分が自分とちがうものなることだと思うのです。
これがなぜコミュニケーションのヒントになるかと言うと、自分が今のままでいること
にこだわっているかぎり、相手も同じようにするのではないか、ということが想定され
るからです。
ネコって、人にすり寄りながらも、それでも自分を失わないでしょ。だからイメージ
キャラクターとして良いかと思いまして。
あ、でも、完全にネコになっちゃだめです。まあ、なろうとしてもなれないけど。
ヒト→ちょっとネコ→かなりネコ→ほぼネコ→ネコの中間段階にとどまることです。
先のaikoさんの歌にもあるように自分が変わることはちょっと照れくさいんだけど、
相手との白黒はっきりした対立する立場をいったん離れることが大切なのではないか
と思うのです。良い意味でのグレーゾーンね。
外国人と話すために外国語を学んだり、年長者と接する時にちゃんとした言葉づかい
をしたりすることも、相手と自分の差異を滑らかにして、なんとかコミュニケーショ
ンを成立させようとしているんじゃないかな。
これって、コミュニケーションについて一般に言われていることと少しちがうと思い
ませんか?
表現力や聴解力のようなスキルでもないし、相手を納得させるような説得力でもないし。
こんな短歌があります。
子がわれかわれが子なのかわからぬまで
子を抱き湯に入り子を抱き眠る
河野裕子(かわのゆうこ)
アイデンティティーや個性を追求することにがむしゃらな私たちは、おたがい
が溶け合うほどまで寄り添う母子の姿に虚をつかれます。肌の輪郭を超えて
母と子が通い合うさまを目の当たりにすると、口角泡を飛ばしながら主張される
自己や個性などは、本当のところは、ぎすぎすとやせ細ったものなのかもしれません。
「私は私なの!」と、他人とはちがう色で自分を塗りつぶすことに躍起になって
いるようでは、コミュニケーションも難しいのではないか、と思うのです。
今回の参考図書:鷲田清一『じぶん・この不思議な存在』講談社現代新書。
高校生にも読めるようわかりやすく書かれていますが、なかなか刺激的な
エピソードが盛り込まれています。なんならこっそり読もう。これも私のゼミの教科書。
ボジュ!
鈴木隆芳(すずきたかよし)です。
お花見には春物ウェアでのぞみたいところですが、軽やかな服装は
油断すると風邪を引きます。耐寒新素材系での内側からの防御が欠かせません。
グランフロント大阪紀伊國屋書店で開催されている選書フェア(2014年3月末まで
開催予定)に解説を書いたので、それを以下に引用します。
(引用始まり)
愛したい。でも、愛されないなら、愛したくない。臆病で、ちょっとずるい
そんな愛はどこから来たのだろう。人はかつて家族や社会との紐帯(ちゅうたい)
の中に生きていた。たまには窮屈だったけれども、そこにはつつましい幸せがあった。
夢や希望の体積はあらかじめ決まっていて、それが膨らみ過ぎたために押しつぶされる
ことなんてなかった。
だけど今はちがう。人はずっとずっと自由になった。どんな未来像をも描けるように
なった。そして、それと引き換えに、ひどく孤独になった。自分で考え行動しなさい、
と放り出され、ばらばらの個人になった。そんな私たちが他人とつながる手っ取り早い
方法は、モノを買って客になることだ。カネを払うからには、もらうものはもらわなけ
れば気が済まない。だから、つい言ってしまう。愛をあげたら、愛をください、と。
いや、ちがう!そんなのはほんとうの愛じゃない。それはそうなのかもしれない。
でも、だからって「じゃあ、愛って何よ?」と訊かれたらどうしよう。困りました。
(引用終わり)
以下のURLをクリックすると私の推薦した本とプロフィールが紹介されています。是非!
http://www.kinokuniya.co.jp/c/store/Grand-Front-Osaka-Store/20140310130623.html
こんにちは。経営学部教員の橋谷です。
この季節になると、もうすぐ20年前のことになる
自分の高校生・浪人生のころを思い出します。
高校生の頃、私は理系であったにもかかわらず、
数学(特に微積!)が苦手という「劣等生」でした。
中学生のころまでは、頭脳明晰、眉目秀麗であっ
た、というとまったくのウソになりますが、勉強が
ぼちぼちであった私は、高校時代から人生に悩み
はじめ成績不振となり浪人。
その後、大学時代を通じて、うまくいかないこと、
孤独を感じることが多く、振り返ってみてもなかなか
厳しい時期だったと感じます。
具体性には乏しいのですが、そのもやもやした悩ま
しさこそ、まさに「青春時代」だったのだろうと思います。
私は、勉強・人生のいずれにおいても、あまり要領が
良いわけではなく、むしろ、回り道が多いタイプだと
自覚していますが、特に大学時代(の後半)に、勉強を
することを通じて、体系的な知識を得ることの楽しさを
知ることができたことは、回り道を経たからこそ手に
入れることができた大きな財産だと思います。
人生を語るにはまだ若造ですが、その時々の苦しみも、
後になってみると学びの種になるのだと思います。
こんにちは。経済学部教員の上宮智之です。
大学はもうあと1か月ほどで春学期が終わります(大学は春と秋学期の2学期制)。
講義が佳境に入るこの時期(6月末から7月上旬)は夏の学会シーズンでもあります。
大学教員は、普段講義をしているだけではなく、週末を中心に、各地(国内や海外)
で開催される学会や研究会にも参加します。そこでは新しい研究成果を聞いたり、
みずからの研究成果を発表したりします。
上宮も最近,学会や研究会のために,仙台や福井に出張しました。
学会出張は、あくまで研究のためですが、空き時間を利用して研究者仲間たちと
観光する・美味しいものを食べる、という楽しみもあります。
お土産選びも毎度楽しみにしています。
今週末(6月28日・29日)は、マルサス学会に出席するため、
北海学園大学へ行きます。そう!北海道!学会がなくても,
共同研究の関係もあって,上宮は年に2回以上のペースで北海道を訪れています。
何度行っても北海道は楽しく,美味しいものがいっぱい。あまり時間がないとき
でも新千歳空港のお店を見て回るだけでも十分に楽しめます。
ときとして研究がうまくまとまらずに落ち込むこともありますが,
学会出張は密かに毎回楽しみにしています。それでは北海道にいってきます!!
ボジュー。こんにちは。経済学部の鈴木隆芳(すずきたかよし)です。
このブログが皆さんのお目にとまり嬉しく思います。
6月に入り、就職活動中の4年生の中には、
企業から内定(「うちの会社に来てね」という約束みたいなもの)をもらった学生もいます。
さて、突然ですがここでクイズです。
そんな企業が学生に求める能力の1位はなんだと思いますか?
資格? 成績? 英語? 専門知識?
これらも大切なはずだけど、正解はちがいます。ダントツ1位があります。
その能力はここ10年近く連続1位ですから、まさに圧倒的なのですが。
さて、それは……
コミュニケーション力です。
……うーん、わかるような、わかんないような
でも、ところで、コミュニケーション力ってなんでしょう?
楽しくお話ができること。人前で発表できること。そんなイメージではありませんか?
そのとおりだとは思うのですが、ただ、それだと人見知りの人や、
引っ込み思案な人ってすごく不利になってしまいますね。
でも、本当のコミュニケーション力って、それだけではないと私は思います。
もっといろいろな可能性があるはず、とね。
平田オリザ先生が言っていたことですが、今の若年層(皆さんのことですよ!)は、
中高年世代(私のことです(涙))よりも、コミュニケーション能力が実はずっと
高いのだそうです。ファッション・センスにすぐれて、ダンスや歌が上手くて、携帯
メールやSNSを巧みに使いこなして、幅広く自分を表現できる。一方で、おじさんは、
服はダサイし、カラオケじゃ昔の歌しか歌わないし、ダンスは見るも無残、メールも
なんだか意味不明。(ちょっと極端かな)
そこで、そんな人たちとは関わりたくないって気持ちはすごくわかるんだけど、
そう簡単にはいかないのが困ったところ。だって、社会の中核にいるのは、
なんだかんだ言っても、そんなわけのわからない中高年の大人だからです。
将来、皆さんにどんなに行きたい会社があっても、その人たちから「いらない」と
言われたらそれでハイ終了!なんです。困ったねー。どうしよー。
えっと、今回はここまでです。対策は次回考えましょう。(←「おいっ(怒)話しが
途中じゃないか」というお叱りはごもっとも。でもね、あんまりいっぺんに書いちゃいけないんだってさ。)
今回の参考図書:平田オリザ『わかりあえないことから―コニュニケーション能力とは何か』講談社現代新書。
「わかりあえないことから」というテンションの低さがラブリーです。
私の授業でも使っています。コミュニケーションって人見知りでもいいんだ、と納得しました。おすすめです。
つづく(といいなー)