シャンパーニュ地方オーヴィレール修道院内の碑、そこに眠るのは、かのドン・ペリニョン修道士。
 
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ヴェネディクト派修道士のドン・ペリニョンDom Pérignonは1668年にここオーヴィレール修道院の出納(すいとう)係に任命されました。
ドン・ペリニョンの生涯はフランス王ルイ14世(1638-1715)とほぼ重なり、当時はフランスがヨーロッパ大陸で権勢を誇っていた時代です。
 
ワインはキリスト教の儀式にとって欠かせないものであると同時に、当時の教会にとっては収入を得るための貴重な商品でした。
したがって修道士たちは並々ならぬ熱意をもってブドウを栽培し、ワインを醸造しました。
 
さて、シャンパンの発明者とされるドン・ペリニョン。
彼がシャンパンの発明に大きく貢献したことは確かなのですが、一方で、やや神格化されたことで事実とは異なる話も多いようです。
そうした中でも信憑性の高いエピソードは、彼が造ろうとしていたのが、なんと「泡の出ないワイン」だったということです。
シャンパーニュ地方は冷涼な気候の地域であり、秋にアルコール発酵を終えることのできなかったワインが、春になって再び瓶の中で発酵することがありました。
こうなってしまうとワインの質も安定せず、また、瓶内で発生した炭酸ガスの圧力で瓶が割れたりと危険です。
そうしたことがないよう、ドン・ペリニョンはさまざまな工夫を凝らしたそうです。
彼がシャンパンの質の向上に貢献したことは確かです。
ところが、彼の意に反して、当時の英国やフランスのサロンでは、発泡酒のシュワシュワとはじける泡の感じが大評判になったというのです。
 
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修道院は最寄りのエペルネ駅から車で10分ほどですが、この日は訪れる人も少なくひっそりとしていました。
 
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「修道士の小道」、市販の絵はがきにもこのアングルのものがありました。
 
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丘からはブドウ畑が見下ろせます。
黒ブドウが色づいています。
 
その世に名を轟かすドンペリことドン・ペリニョン。
こうした背景に思いを馳せると少しイメージも違ってきませんか。
以上、鈴木でした。
 
*ドン・ペリニョンについては、ヒュー・ジョンソン『ワイン物語』小林章夫訳、2008年、平凡社、中巻第21章「最初の完全主義者――シャンパーニュの誕生」(pp.125-147)を主に参照しています。

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鈴木隆芳
経済学部 経済学科
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